| 1. |
熊本における第一人者として放送事業へ関わる
−好奇心が導いたラジオ・テレビの世界− |
|
| ■ |
後戻りを省みずラジオの世界へ
|
|
昭和24年、地元新聞社へ入社し、その後、色々な経験を積む為に大阪へ赴任した。そして、昭和
27年当時、大阪では、民放ラジオが始まり公開録音を見たりして、大変、興味を持っていた。そのころ地元・熊本では、ラジオ事業を始めようと検討しており、自ら手を挙げて、出向ではなく、退職・再就職という後戻りを省みない覚悟で、ラジオ事業へ飛び込んだことが放送の世界へ入る切っ掛けとなった。
|
| ■ |
ラジオからテレビへ!更なる展開
|
|
ラジオの仕事においては、東京で編成の仕事をしたり、また、番組作成においては、県出身者のインタビューや女性向けの番組などを担当し、比較的自由に面白い仕事が出来た。その後、昭和33年、今度はテレビ事業への進出が検討され、東京にいたことが切っ掛けで、東京テレビ(現TBS)や日本テレビで、編成、製作、報道、美術などあらゆることを約1年弱、勉強させてもらう機会に恵まれた。そして、昭和33年12月、初代・編成課長として熊本に赴任することになり、幅広い仕事を行うことになった。また当時は、皇太子(現天皇)ご成婚式の2日にわたる放送に携わるなど、非常に良い時期に事業を立ち上げ、良い経験を積むことが出来た。
|
| ■ |
大事なのは“人と人との繋がり”
|
|
結局、振り返れば、大阪でラジオに触れ、東京でテレビに触れて仕事に携わっていくという、非常にタイミングの良い仕事が出来たのではないかと思う。
また、放送事業においても、広告代理店、同業他社、地域の方々との“人と人との繋がり”(人脈)が大事であり、後進には東京・大阪へ赴任し積極的に人脈形成を行うように勧めている。 |
|
 |
|
| 2. |
これからの放送事業
|
|
|
| ■ |
地元放送局でしか出来ない情報発信を!
−豊富な地域コンテンツを情報発信する− |
|
これからの放送は、デジタル化の波で非常に重い投資コストを抱え厳しい状況には変わりないが、地方局しかできない、地域に根ざした情報発信が出来るのではないかと思う。
熊本は、自然、文化等、多方面にわたり豊富なコンテンツを持っている。例えば、能などの地域の方々による発表会にしても、最近は簡単に放送出来るようになり、より多くの方々へ伝えるなど、色んなお手伝いが出来るだろう。
|
| ■ |
誰にでも優しいサービスを
−高齢者はじめ誰にでも対応するサービスが必要な時代に− |
|
また、IT化が進展するに従い、受けての機器操作も複雑化している。今後、急速な高齢化社会が特に熊本は進むことから、誰でも簡単に情報に触れることが出来るように対応することが必要だと感じている。また、そうでなければ、事業の発展も望めないのではないか。
|
|
|
|
|
|
|
|
 |
|
| 3. |
−地域の良さを見直し地域発展を志す− |
|
|
| ■ |
熊本の様々な団体・組織がまとまることの意味 |
|
これまで、熊本の人々は、熊本としての良さを正確に認識してはいなかったのでは?と思う。今こそ、築城400年と新幹線開通を控えて、今一度、熊本の良さ(伝統・文化)を見直し、これからの地域発展を志向する必要がある。
また今回は、熊本の各種団体が団結して運動を起す形になり、非常に意義があると考えている。これまで、なかなか一つになって何かを行うことが無かっただけに、今後の活動は、非常に期待が持てる。
現在は、肥後学講座や、永青文庫の見直しなど、熊本の良さを見直す活動を主体に行っており、また、若手の経済人や学生の活躍で“みずあかり”という祭りを起すことが出来た。益々、盛り上がって欲しいと思っている。
|
| ■ |
運動の広まりのカギ
−体験型の運動をもとに若者の参画を− |
|
今後は、現在の肥後学講座をはじめとして、高齢者層が多いことから、若手の参画を促すような活動を行い、輪を広げることを行いたい。
その為にも、単なる座学でなく、実際にフィールドに出て体感して学ぶ、『体験型』の活動を行いたい。大分や小倉に繋がる街道を実際に訪れるなど、様々なアイデアがあるのではないか。
|
|
 |
|
| 4. |
最後に −会員への皆さんへのメッセージ−
−若手の積極的な行動に基づく発言に期待!− |
|
| ■ |
同友会会員の皆さん、特に若手の皆さんには、積極的な行動に基づく意見を遠慮なく出して欲しいと思う。それとともに、若手に意見の場を与え、育成するという視点も会員の皆さんに持って頂ければ、更に地域が発展するのではないだろうか。 |
|
 
|
|